ホーム > 新聞 > 2004年3月号

羽球月報  3月号

学2 岩本

先月の初めあたりはかなり寒かったのですが、この頃になってかなり暖かくなって春ももうすぐ来ようかと感じられるようになって きました。今月は我々幹部にとっても最後の大仕事である合宿・大会が控えています。夏の時にも書きましたが、合宿においてはしっ かり目標を持って臨むようにしてください。たとえ合宿中に達成できなかったとしても、中身のある合宿になると思います。そして、 それを大会に生かす事が出来れば文句はありません。頑張っていきましょう。

ということで、いよいよこの新聞の原稿を書くのも最後になりました。
今まで拙い文章に付き合ってくれた皆さん、ありがとうございました。新聞を少しでも面白くできないかと考えつつ4月からスタート し、色々とネタを探して面白くしてきたつもりです。満足していただけたでしょうか?今月号で「羽球月報」も最終号ということで 、幹部それぞれの一言を集めました。

 最後に「へぇ〜」な小ネタを。

かつてミックスダブルスには、女性プレイヤーに<hit and scream>つまり<打ったらキャーという>奇妙なルールがあった。

我がクラブの中にはルールにするまでもなく、キャーと叫んでる人もいるようですが‥。  


神谷 まひる

私は女子キャプを務めたというより、させてもらったという方がふさわしいでしょう。去年の今頃、私は、そもそも自分がこの役職 には向かないのではないか、体調がもたないのではないか、と不安を抱えていました。けれども、部員の皆さんは文句なく私を受け入 れてくれました。その寛容に感謝しています。
幹部としてクラブに関わることは、私のこのクラブに対する考え方を大きく変えてくれました。これだけ大人数のクラブがどうして 成り立つのか、大学からバドを始めた人が上達するにはクラブはどうあればいいか、などと考えていくうちに、このクラブの懐の深さを知った気がします。
結局、私は体調不良で最後まで幹部を続けられませんでした。皆さんが私に任せてくれた役割なのに、と思うと残念で申し訳ないです。 その分、これから私がクラブに何か貢献できる事はないか、模索していきたいと思います。一年間ありがとうございました。
 


李 泰治

副キャプテンと11月までシャトル係を務めさせていただいた李です。わがままで12月から3月までスキー部の活動の方を優先してしまい、本当に申し訳ありません。一年前に幹部としてどうすればクラブに貢献できるのかを考えた結果、つらい練習でも楽しんでやろう と思い、そう心がけ、自分では実践できたつもりです。別に幹部が終わったからといってバドミントンをやめるわけではないのでこの スタンスを変えるつもりはないですが…
最後に僕達の良かった所、悪かった所を参考にして次期幹部の人たちはよりよいクラブを作っていってください。  


三原 聖子

かつて、私の通学時間を6年分蓄積すると約1年になると指摘されたことがありました。なかなか衝撃的な数字です。月10回クラブ があるとして約1日1時間。6年分積もれば3か月。長い様な、意外と短い様な気がします。しかしそれだけの時間を、大勢の人々と、 同じことをして共有出来るのはやはりすごいことだと思います。
 さてそんな中、もう幹部終了の挨拶をする時期になってしまいました。まだ終わるという実感はありませんが、それでも少し振り 返ってみると、とにかく忙しく過ぎた一年だったというのが第一印象です。そしておそらく、その為に思慮が及ばなかった部分も多 いであろうことは、本当に反省する限りです。また、主務として密かに革命的なことをしてみようと思いつつも、発想乏しく果たせ ずにいるのも、心残りの一つです。
 …この様に、充実した時間だったと思う一方、至らなかった点、反省すべきことが様々に思い出されてしまうのですが、全て終わっ て振り返る時には感慨深く思えるよう、残りの期間を精一杯走り抜きたいと思います。
一年間、ありがとうございました。  


内藤 紗貴子

この一年間会計をしていると、自分がすごくお金持ちになった気がして、自分のお財布のひもまでゆるくなって私生活で浪費して しまった気がします。その一環で最近、お菓子付きフィギュアにはまっている、というより、はまろうとしたのですが、「街のお菓子 屋さん2」シリーズで一つ目がだんご、二つ目がはたまただんご、三つ目でとどめを刺すかのようにだんご。気を取り直して、「カフェ めし」シリーズに鞍替えすると、一つ目はグリーンカレー、二つ目がまさかのグリーンカレーで、これはもう買うのやめろということか!?、というのが最近の専らの悩みです。(ちなみに、三つ目で悲願のビーフシチューを引き当てました!)
と、それはともかく、私にはお金を数えたり表を作ったりという会計の仕事がとても性に合ってたみたいで、嬉しげにみんなの出席 回数を集計して某五、六回生の方々の出席状況に感動したりしていました。本当にあっという間の一年間で、まだまだ会計を続けたい ぐらいで、もう後一か月かと思うと切ないですが、とりあえず、ひび入りかけのTiー6が持ち堪えてくれることを祈りながらがんばります。  


渡辺 法之

ビデオ係をやってきて、下級生でビデオ係を使ってくれたのが少なすぎる、と思う。使ってくれてる子は3、4人で、この子らは自分 の力を着実に伸ばしていると思う。自分のダメなところは目で見て認識することも大事です。もっと、ビデオや新聞のINTERVALなどを 活用していってほしい。
このこととも関連して、練習中、上回生をいい意味で使ってる子も少ない。下から積極的に上に指導を仰ぐ光景が少なかったように思う。 もっと、ビデオや新聞、上回生といった、上手くなるチャンスを無駄にせずに、いい意味で使っていってほしい。また、ロッカーにバドマガを置くようになったので、ビデオとともに活用していってほしい。春合宿に期待しています。  


安田 圭子

〜徒然〜

幹部を終えるにあたっての挨拶ということなのでしょうけど、まだ大会の大仕事が残っていて、振り返る気になれないので、勝手な事を書かせて頂きます。
この三月で区切りになることと言えば、私にとっては、幹部と家庭教師です。一年の時からの持ち上がりで、当時中三だった生徒がいよいよ高三になったというわけです。現在、三人教えていて、いま高三の二人が、大学生になってしまったら、嬉しいと同時に、毎週会っていたのがなくなってしまうと、相当寂しくなるだろうな、と思います。私が、三年の時に、解剖実習のあとにも行き、土・日は二件、週6、しかも骨学の試験前とか言って死にかけながらもやり過ごしていたのをご存知の方もおられるかもしれませんね。時間のないときには、いろいろしたいと思うようで、「もう少し時間があればもっと勉強するのに」なんて都合のいいことを考えている始末です。高校の時は、大学に入ったら、毎月映画雑誌を買って、映画を見まくって、文学作品を読んで、高一の時にやめたピアノを再び習ってドビュッシー弾きたいし、できたら中学の時に描いていた、絵ももう一度描きたい、書道も習いたい、部活はバスケかな、と思っていたのですが、結局どれも達成せずに終わりそうな気配です。よく考えたら、これは多すぎたようです。一年の時は、半年位、忘れたい事があって、時間を埋めるためにホテルの配膳バイトをしていて、次はスタ○でバイトしてコーヒーを飲みまくろうという野望を持っていたのですが、それも達成できませんでした。ついでに、基礎配で立ち上げた、HHV8v-cyclinのプロジェクトも、毎日行って実験を続ける事はできなくて、夢半ばで断念しました。先生や院生の兄さんのおっしゃることを理解しようと、必死に教科書やペーパーを読んでいた日々が懐かしいです。代わりに、といっては可笑しいですが、勉強会を頑張ることに決めたりしました。優秀なメンバーに刺激され続けながらも楽しんでいます。そうこうしながら、ある時は身を削りながらも、やる気を出してくれたり、「せんせ、来てください」って言われたりするのはすごく嬉しかったし、どこかしら、元気をもらっていた気がします。いい生徒にめぐり合えたと思ってますし、部活や旅行にいけるのは、密かにそのおかげだったりします。
一人でできること、大勢でないとできないこと。うまくはいかないこと。周りから支えられること、愚痴を聞いてくれる人がいること。恵まれていること、仕方がないこと。与えられた条件の中で、できる事を考えること。周りを見渡すこと。可能な限り楽しむこと。思えば、周りの人をつかまえて、その時々を精一杯過ごしてきた気がします。コーヒーショップで、お店のお姉さんに覚えられて、話しかけてもらえる小さな幸せ(笑)果たせなかった野望(?)は、沢山あるけれど、その代わりに目の前にあらわれたものがあれば嬉しいな―これからも、あくなき挑戦―いや、挑戦なんてしなくていい、歩き続けるだけで満足です。  


舛本祥一

新聞係として、1年間新聞を作ってきたわけですが、今までとは一味違ったものを作ろうと、自分で勝手に『INTERVAL』なんてコーナーを作らせていただきました。10月くらいですでにネタ切れしていたのですが、なんとか続けることができて個人的には満足しています。少しでも後輩のためになっていたら非常に嬉しいです。
練習の面では、自分のことに精一杯の部分もあり、後輩の指導を十分にできなかったのではないかと反省しています。ただ、1,2年生は遠慮せずにもっと積極的に先輩に声をかけてほしいと思います。上達するために大切なのは、貪欲に自分から求めていく姿勢だと、僕は思います。
僕がクラブをここまで続けてこれたのも、ひとえにバドミントンが好きだからだと思います。自分も楽しみつつ、一人でも多くの部員にバドミントンの楽しさを伝えることができればと思っています。  


永原麗

個人的な事情でごく短い期間しかバドミントンをご一緒することができませんでした。先輩、後輩、同学年の方々にかなり迷惑おかけして申し訳ありませんでした。バド部での時間は私にとってとても実のある時間だったと思います。それを与えてくれた皆様に感謝しています。ありがとうございました。  


須田万里

ついこの間、幹部交代の挨拶を書いたばかりと思っていたのですが、月日が経 つのは早いですね。年々、そう感じます。この一年、練習にほとんど参加できていなかったので私の名前をまだ覚えていない、または忘れてしまった方もいるのではないでしょうか。須田です。
 「すーじー」と呼ばれています。とてもお気に入りです。一年生の夏合宿でついたニックネームで、家に帰って家族に言ったら、母親に「私の車の名前、すーじーだったのに。」と言われました。なので家に帰るともう一人、いやもう一台、すーじーがいます。
 1年生に腰痛を起こして以来、数々の怪我を繰り返し、今まであまり練習に参加しませんでした。2年生のある日、練習に行こうと、ラケットを取り出したら大きなムカデがラケットと一緒に「こんにちは」と顔を出してきて、対処するのに手こずり練習に遅れたことが、今でも忘れられません。あまりにも練習に行かないために、ばちがあたったのかも、と思った一時でした。
 今年度もほとんど練習に参加できませんでしたが、今までの3年間を思い起こしてみると、クラブの練習は、あまり乗り気でなかった日も、行って見ればとても楽しくて、練習が終わる頃には「もっとやりたかったなぁ」と思えるものでした。今思えば、今まで幹部の方々が、みんなが楽しくバドミントンができるクラブ形成を心がけていたからこそ、明るくて、こんなに大きなクラブになっているんだと、実感しています。そのクラブ形成に、自己管理不足のために一つも力になれなかったことを大変申し訳なく思っています。
 今までのような、楽しいクラブを続けていくためには、一人一人が楽しくやることだと思うので、どんどん、バドミントンに打ち込んでください、また、バドミントンは・・・という方も、これだけは譲れない!という趣味や特技を見つけ出すといいと思います。また、他にもやりたいことがたくさんある方も、今しかできないことなど、どんどんチャレンジしてくださいね。
 



ホーム > 新聞 > 2004年3月号

Last updated: 2004/02/27 11:47
新聞に戻る